つきあう

つべこべいわずに 文仙
きみとこれからもずっと 留伊・現パロ
あなたのことをあいしてます 鉢雷・文豪パロ
うさぎがぴょこりとはねたから タカ綾・現パロ

Harvest Moon night 2009









































合わない帳簿にいらいらと歯噛みしながら算盤を弾く。一珠一珠に重さを感じる。普段なら「鍛錬が足りん」と自己研磋する材料にしかならないのだが、焦りゆえか、思う様に動かないそれに苛立ちが募る。提出期限は昨日だった。顧問の嫌味など聞き流せばよい。それは別段、気になどならん。問題は、矜持だった。間に合わなかったという。

「くそったれ」

思わず出てしまった言葉に対して「だれがくそだと?」と不意に声が割り込んだ。部屋の障子扉が勢い良く開けられ、振り返ると、同室の主がそこに立っていた。縁が艶やかに染められた奴の目は完全に座っていて、間の悪い時に出会ってしまった、と心の中で呻く。まき散らされた酒臭さのきつさに、すでに仙蔵が尋常な量を呑んでいることが分かり、げんなりする。どこからくすねてきたのか聞きたくもないが、手には大きな酒瓶につながった麻紐を握りしめていた。

「別にお前のことじゃねぇよ」
「当たり前だ。…おい」

嫌な予感がひしひしとしたが、黙っていても仙蔵は事を進めるだろうと、仕方なくため息と共に「何だ」と吐き出す。それを知ってか知らずか、嬉しそうに口角を上げた。酒瓶とは反対の手に隠し持っていたらしく、猪口を軽く掲げる。

「呑むぞ、つきあえ」
「は? お前、もう酔っぱらってるだろうが。まだ呑む気か?」
「ふん。うるさい。せっかく私が誘ってやってるのに、無粋なやつだな」
「そういう問題じゃねぇだろうが。つーか、何でこんな普通の日に呑んでるんだよ」

実習の打ち上げでもなければ、仲間うちで祝があったわけでもねぇ。明日は普通に授業(しかも実戦型の)があるというのに。弱いと一応の自覚があるのか、酔いが回るほど仙蔵が呑むのは次の日に何も予定がない時だけだった。

(なのに、こんなに呑むなんて、何かあったのか?)

「今日って、なんか祝事でもあったか?」
「あほ。本当にお前は風流を解せぬやつだな」
「なんで風流とか出てくるんだよ」
「お前、今日が何の日か本当に分からないのか?」

呆れたような眼差しが、つい、と屋外に流された。いつもよりも柔らかく明るい蒼い闇は、一つ下の学年の服を思わせる。奴の足元には長い影。やけにくっきりとしている。そういや、今日は、妙に明るい。燭台の灯りを絞っても手元が十分に見える。月光が吸い込まれてほの白く光る障子。はた、と気がついた。

(あぁ)

俺が気づいた事を見取ったようで、仙蔵が持っていた猪口を投げて遣わした。




































「あ、とめさぶろーと、いさくじゃん。バイバーイ」
「いっつも二人、一緒にいるよねー、ヒューヒュー」
「ラブラブー」

甲高い声が、耳元を疾走していく。背後から迫ったと思ったら、もう、ずいぶん先の方に行ってしまった自転車のシルエット。 ずいぶん遅い時間だというのに月明かりのせいだろうか、やけに姿がはっきりと捉えることができた。「何だ、あいつら」と呆然と呟くと、同じように呆気に取られていた伊作が俺の方を見遣った。

「すごい勢いだったね……お月見泥棒じゃない?」
「あー、今日、十五夜かぁ」

よく耳を澄ますと、あちらこちらで、浮かれた子ども達の声が聞こえてくる。反響していて何を言ってるのかは分からないけど、闇を揺るがす楽しそうな笑い声も、風に乗って届く。視線を空に転じると、まんまるい月が煌々と上っていくところで、王冠みたいな形に光が周りに広がっていた。

この辺りには、「お月見泥棒」という風習がある。何をするかといえば、軒先に置いてあるお供えを貰っていく、それだけだ。 親父の子どものころは本当に勝手に盗っていったらしいけど、俺たちは「お菓子ください」と声をかけることになってる。お菓子の中身も、月見らしく団子のところもあれば、飴やせんべい、手作りのクッキーやケーキが並ぶところもある。色々回って家に帰る頃には、持っていた袋がパンパンになるくらい、お菓子でいっぱいになる。まぁ、日本版ハロウィンっていったところだろうか。地区の祭りと同じぐらい楽しみな行事の一つだった。

(残念ながら、俺らは高校生に上がったので、今年からできないけど)

「高校に上がったせいか、すっかり忘れてたなぁ」
「そーだな」
「ちょっと、うらやましいかも。そういえば、小3くらいだっけ? 自転車でさ…」

明るい月に生み出された地面の濃い影は、つかず離れず、いつもの距離。昔のお月見泥棒のエピソードを思い出しては笑い合う。 けど、俺は別のことに囚われていた。幼馴染以上恋人未満、な関係は、俺をいつも微妙な気持ちにさせる

(「ラブラブ」ってあいつらに言われたけど、ちっとも、気にしてねぇんだな)



***

「あら、留くんにいさくんじゃない」

あと少しで伊作の家、というところで、顔見知りの小母さんに声をかけられた。もう子ども達が回った後なのだろう、玄関に出された机からススキを片づけているところだった。動物のしっぽのような白い尾花が、オレンジ色の灯りの下で、やわらかく揺れていた。

「こんばんはー」
「ちょうどいいところに来たわね。これ、持ってって」

伯母さんは傍らにあったカゴを掴むと、俺たちに、手を広げるように促した。されるがままにすると…。ぱらぱら。掌に広がったのは、今日は脇役に追いやられた星みたいな、金平糖。白や黄色、ピンクに水色、オレンジに黄緑。小さな銀河ができる。

「え、いいんですか?」
「本当は中学生までなんだけど、近頃、この辺も子どもが減っちゃってね」
「ありがとうございます」

お礼を言うと伯母さんは「いーのよ」と、ビニル袋も渡してくれた。手の中の色とりどりの金平糖を、その袋の中にぶちまける。 ぶつかり合う音が、幽かに、でも確かに響いた。

「あいかわらず、二人一緒にいるのね」
「そうなんです。小学校も中学校も高校も同じクラスって凄いですよね。
 たぶん、留さんとは、ずっと一緒なんじゃないかなぁ、って思うんですけど」
「どーせ腐れ縁って言いたいんだろ?」
「けど、まぁ、留さんとはずっと一緒にいたいですね」

思わぬ爆弾発言に心臓が月よりも高い所まで飛びあがった。「あらあら」と意味深な視線を向ける小母さんに、俺は慌てて「じゃぁ、もう遅いんで」と、いとまを告げて歩き出した。 「ありがとうございました」という伊作の言葉と、それから俺を追いかける足音が聞こえてくる。いつの間にか子ども達の声は消え、辺りには虫の音色が闇にしみこんでいた。そこに忍び込む、金平糖同士がこすれ合う、小さな音。

「どうしたのさ、急に」
「なぁ、伊作。さっきの言葉だけど」
「ん?」
「俺も、一緒にいたいと、思ってる。だからさ、」

伊作の手を、そっと、握って俺は、空を見上げた。手に下げられた袋からは、小さな小さな音が聞こえてきて。 月の周りは柔らかな金色に輝き、漆黒の天蓋が藍色に透けて見えた。




































「何やってるんだい、先生」

ころりと転がした万年筆の先をぼんやりと眺めていると、背中の辺りに温もりと重みがしなだれかかった。茶目けの含んだ声音に、「あぁ、三郎。というか、先生って呼ぶのやめてよ」と答えると、くすくすとした笑う息が服越しに肌に触れて、こそばゆくなった。三郎を引きはがすために小袖の布を握りしめながら振り向くと、僕と瓜二つの顔が寸前まで迫っていた。月がくるりと一回転するような、長い口づけ。

「せんせぇはせんせぇにかわりない」

どこか稚い声で彼がからかっているのが分かったけれど、唇に籠る熱に怒る気もなくしてしまった。そのまま黙って、再び原稿用紙に体を向けると、三郎のしなやかな腕が僕の首に絡みついた。これじゃぁ、仕事もはかどらない。どうしようかと思案していると、「さっきから随分怖い顔をしていたけれど、どうしたんだい?」と耳元を低い声が掠めた。

「あぁ、ここの翻訳で困ってしまってねぇ」

僕は売れない作家であった。国が外へと開かれて幾星霜か、流入してくる文化に花開きつつある我が国。それまで内内のことしかしらない人々は、浪漫だのなんだのと、外からのいうものに憧れを抱いていた。三郎は、どこからか、そういった外の話を集めてきては、僕に大和言葉に直すことをせがんだ。大衆を毛嫌していた三郎がその他大勢と同じようにのめり込むのは滑稽かもしれなかったが、鬱蒼とした日々を過ごすよりかはよいだろう。目を輝かせて読む三郎に、最初は、ただ遊びのつもりで彼が選んできた話を僕が翻訳していただけだった。作家としては売れなかったが、どうやら僕にはそういう才能はあったらしい。いつの間にやら、それが店で売られる様になっていた。どうやら三郎が版元に売り込んだらしいのだが。まぁ、日々のご飯に困らなくなったのから、それはそれでよかったのだが…。

「何て書いてあるんだい?」
「I love you」
「ふーん。で、どういう意味?」
「それに困ってるんだよ」

僕が嘆くと、三郎は「あらぶゆ。あらぶゆ」と呪いの言葉のように音面をなぞった。

「ちっとも、わからないな。どんな人がどんな時に使う言葉なんだ?」
「んー、そうだな。さっきの僕らみたいかなぁ」

そう答えると、三郎は柔らかく微笑んだ。窓の向こうに、満月。






































「月にはうさぎがいるんです」

隣を歩いていた綾ちゃんが、唐突に口にした。どう返事すればいいのか分からずにいると、ヘッドライトの明かりが少し先からやってくるのが分かった。自転車を綾ちゃんの方に寄せ、その場で車をやり過ごす。目に痛い光源が眩さを拡散しながら近づいてきて、スピードを落とすことなく僕たちの傍を通り過ぎた。再び落ちる、闇。呑みこまれた虫の音も、また聞こえだした。さらりと澄んだ空気があっという間に排ガスに汚される。取り残された沈黙を、なんとか紡ごうと僕は言葉を探した。

「えっと」

とりあえず相槌を打ってみたものの、それ以上、話が続かず、僕は黙り込んだ。けれども綾ちゃんはそんなこと気にしてないようで、さっさと歩きだした。慌てて握っていた取手に力を込めて押す。カラカラ、と車軸に何かが引っかかっているのか、輪が一回転するたびに小さく軋んだ。

「ちょっと、寄っていきませんか?」

綾ちゃんが指さしたのは、随分と不気味に佇んでいた小学校だった。昼間は子ども達の喧噪に包まれるそれは、嘘のように静まり返っていた。入口の車止めの所に自転車を立てかけると、先をいった綾ちゃんを追いかける。向かった先は、アスレチックの中にある小高いコンクリートの山だった。昔はターザンロープなる遊びができたそれも、数年前に危険だから、という理由で遊具は撤去されたらしい。錆びついて鈍色した滑車だけが、過去を語っていた。

「けっこう寒いですね」
「うん」

ここが綾ちゃんの母校だと聞いたのは、まだ夏だった。コンビニで買ったちゃちな花火を終えて、ふたり、ごろりと山頂に寝転がった。綾ちゃんに小学生時代があるなんて、と思ったけれど、よくよく考えれば自分にもあったのだから、なんら不思議ではない。なのに、僕の知らない所で生きてきた綾ちゃんを想像するのは難しくて、それでいて淋しくて、ぱちぱち、と飛ぶ火花ばっかり見ていた。あの時は昼の名残で鬱陶しいくらい熱かったコンクリートも、今日は、凍土のようだった。胸に充ちていく風の匂いは色彩豊かで、ジーンズ越しにしのんできた冷たさに、なんとなく、季節の移ろいを感じた。

「タカ丸さんの髪の色みたいですね」
「え?」
「今日の、月」

月を食む雲ひとつない満月は優しい黄色をしていた。そこから光のヴェールが闇を柔らかく包み込んで、いつもよりも淡い宵色の世界を創り出していた。

「ねぇ、タカ丸さん」
「なに?」
「うさぎがぴょこりとはねたので、つきあってみませんか?」

あまりに唐突で、あまりに意味不明な言葉で、けれども僕を頷かせるには十分な言葉だった。