あまり幸せじゃない、けど、不幸でもない、不安定な文章たち。ワンシーン切り抜き。現代。

 はちや と ふわ
 たけや と くくち
3 はちや と ふわ
 たけや と くくち ※兵助が年下
 はちや と ふわ
 たけや と くくち
 はちや と ふわ
 たけや と くくち
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title by heaven's blue top






































拝啓、不破雷蔵様

随分と古めかしい文体で始まった手紙に綴られている文字を僕はよく知っていた。あの頃、授業をさぼっては僕のノートに助けを求めてきた三郎は、けれども、それを写す時はどんなに焦っていてもとても整った字をしていたものだった。角ばった、少し神経質そうな、筆跡。
大掃除を、と昔の物を整理していて、大学時代によく読んでいた本が段ボールに押し込まれていたのを、偶然見つけた。懐かしさと喜びに、いつの間にか整頓をそっちのけで夢中になって読んでいて、気がつけば真夜中になっていた。久しぶりの読書熱に苦笑しながら、立ち上がって本を片付けてようとした時、ひらり、と落ちてきたのが、一枚の封書だった。糊づけのされてないこの手紙を、僕はもらった記憶がなかった。と、いうか、手紙をもらったことなど一度もなかったような気がする。あの頃は、すでに携帯なんて便利なものがあったから、三郎との連絡は全てそれだったのだ。手紙は続く。

いきなり、こんな手紙だなんて、君の事だ。すごく驚いていると思う。何分、普段は手紙を書かない自分のことだ。少しおかしな所もあるかもしれないが、笑わないで読んでほしい。

色褪せた紙に薄れたインク。あまりに時を隔てすぎたそこに宿るのは、あまりに若く、そして率直な言葉だった。僕に愛を謳う言葉が連なっていて、誰もいないのに思わず僕は周りを見回してしまった。頬が熱い。

この手紙を、雷蔵、君が読むのはいつになるだろうか。明日だろうか、明後日だろうか。それとも一年後だろうか。もしかしたら、十年後かもしれないな。メールみたいにすぐ届くわけでもないし、電話みたいに声が聞こえるわけでもない。ましてや顔を見て話しているわけじゃないから、君がこれをどんな表情で読んでいるのかも分からない。けれど、君がこの手紙を見つけた時、その時、-----

「私は雷蔵の傍にいられたら倖せに思う、か。……馬鹿だなぁ、三郎は」

はたり、と落ちたものが、手紙の最後に綴られた鉢屋三郎という署名を滲ませた。

△ (待たなかった雷蔵と手紙の中にいる三郎)

































よぉ、と手を軽く掲げた竹谷は、あんまり、変わってなかった。記憶に残る彼の面影を輪郭を瞼の裏でなぞる。ぴたり、と一致しないのは、目の際の皺が深くなったことぐらいだろうか。こうも簡単に彼の事を思い出せる自分に驚きと、それから呆れが込み上げる。------もう、とっくに忘れたはずだと思っていたのに、と。

けど、こうやって思い返せば、まるで昨日の事のようだった。竹谷と付き合っていたのが。

久しぶりの同窓会は馬鹿みたいに騒がしかった。組別ではなく学年合同で行ったために、借り切った大宴会場ではあちらこちらで奇声にも似た甲高い声が上がる。立ち替わり入れ替わり色々な人物がやってくるものだから、互いの近況を話すので精いっぱいだった。それでも、彼があまりに自然と話しかけてくるものだから、驚くほどのスピードで俺と竹谷は昔みたいに打ち解けていた。

「兵助、この後、暇?」

そろそろ時間なんでー、と幹事が何度目かの言葉を叫んで、ようやくお開きな雰囲気となった。鴨居のハンガーに掛けてあったコートを外し着こんでいると、背後に竹谷が立っていた。ボタンホールに指が引っ掛かってうまくはめれないのは飲みすぎたせいだろうか、それとも彼のせいだろうか。

「暇っていうか、二次会には行かないつもりだけど」
「じゃぁさ、もうちょっと、一緒に飲まないか?」

すっかり出来上がってる辺りの喧騒をよそに、俺を見つめる竹谷の目は深海のように静かだった。





































こほり、と小さな咳が聞こえた。煙草を堪能しながら振り向くと、三郎が恨めしげに僕の方を眺めている。クッションに顔の下半分を押しつけているのは、煙避けだろうか、それとも寒さ対策だろうか。睨めつけるような視線だったけど、彼は何も言わなかった。だから僕は銜えたまま体を反転させベランダに肘を付けて空を見上げる。今日は、やけに星がきれいだ。足元にほったらかしてあった空き缶を手にして、すっかり短くなってしまった煙草をそこに押しつける。氷みたいに冷たい(まぁ、実際は中に入れた消火用の水がたぷんと音を立てたから、凍ってるはずもないんだけど)缶は、脂臭さが際立っていた。ぽっかりと空いた飲み口から見える黒は、重油みたいなとろりとしていて、絡め取られそうだった。僅かに覗くフィルターの外側の紙の薄汚れた白さが、底なし沼に沈みかけた骨みたいだった。見なかったふりをして、今吸っていたそれを放り込んだ。もうそろそろ満杯になるから捨てなきゃ、と思いつつ、指は次の一本をもう掴んでいる。

「雷蔵」

3m後ろから、また咳き込みがした。ここで振り向いたら、それがさよならになると知っていて、僕は煙草を銜えた。




































見回りの当番のことをすっかり忘れていた俺は先輩の嫌味で気づき、部屋の鍵をして回った。学習室の戸締まりをしにいけば、ぽつり、と黒いコートの背中が一つ。この時期なら、もうちょい残れよ受験生、とも思ったが、消し方が悪かったのか白っぽい黒板の上にある壁時計を見れば最終コマの講義が終わってすでに一時間。居残ろうとする塾生が追い払われる時間から15分が経っていた。「おーい、閉めるぞ」と声を掛ければ、振り向いたのはうちのクラスの久々知兵助だった。

「あ、竹谷」
「竹谷じゃねぇし。ちゃんと先生ってつけろよな」
「バイトなのに?」

嫌味な奴だな、と思いつつ、年下なんだから、と堪えて久々知に近づき「そろそろ帰れよ」と帰宅を促すと、じ、っと大きな瞳が俺を見上げていた。

「何だ?」
「質問したいことがあったから、待ってた」
「質問?」
「そう」

そういや、先週はインフルエンザで休んでいたな、と思い出した。業界有数の塾でバイトをしている俺は塾講師ではなく、補助みたいな役だった。年齢が近い、つまりは最近大学受験したばかりだから、受験や大学の情報を教えたり、ちょっとしたアドバイスをしたり相談に乗ったり。バイト内容の一環として、まぁ、塾の講義の内容をノートに取って、休んでいた奴にそのコピーを渡すなんてのもあった。先週、休んだ分を、久しぶりに出てきた夕方に渡したんだが。俺はコイツは頭がいいけど、さすがにあんな走り書きみたいなノートじゃ駄目か。

「ノートの範囲でなら、教えれるけど」
「授業のことじゃなくて。あ、そうだ、年号一つ間違ってた」
「マジで?」

げ、と反応すると、久々知は楽しそうに笑って、それから、「あ、そうじゃなくて」と不意に真顔になって俺を真っすぐ見据えた。

「竹谷先生ってさ、彼女、いるの?」

まさかコイツから恋愛系の質問? と予想外の事に「は?」と素っ頓狂な反応しか出てこなかった。久々知は少し苛立ったように「だからさ、彼女、いるの?」と重ねて問うてきて。それに圧倒されるように「いや、いねぇけど」と答える。それから、「今は」と付け足したのは、個人的なプライドだ。

「じゃぁ、俺と付き合ってよ」

塾生との恋愛禁止、バイトの面接に受かった時に塾長に口酸っぱく言われた言葉が頭に浮かぶ。いやいや、そうじゃなくて、

「久々知、昨日、何時に寝た?」
「えっ…3時過ぎ」
「一昨日は?」
「も、同じくらい」
「今日はこのまま、帰れ。んで、風呂に入って、すぐ寝ろ」

我ながらずるい、と思った。彼もずるいと思っているだろう。険を含んだ鋭いまなざしが俺を突き刺した。けど、彼は何も言わずに立ち上がり、散らばった文房具を片付け始めた。




































「もう、電気、消していいか?」

ベッドで何やらもぞもぞしている雷蔵に声を掛ければ、「ん、もうちょっとだけ」と、どことなく上の空な返事が戻ってきた。何をしてるのか気になって、そっと近づき、彼がいる布団の中に滑り込む。私の重みにベッドが軋みを上げたけど、彼の持っているもののせいか、ちっとも、いやらしい雰囲気にはならなかった。彼の隣は温かい。

「絵本?」
「うん。この前、本屋で見つけたんだ。小さい頃に読んだことがあってね」

懐かしいなぁ、と呟く彼の掌中にある絵本は、モノトーンのような、何だか淋しい色彩で、あまり子どもが好むような物ではないように思えた。その事を雷蔵に伝えれば、彼は唇を少しだけ緩めた。

「僕もね、昔は、よく分からないなぁって思ったよ」
「難しい話なのかい?」
「ううん。でも、今ならよく分かる気がするよ」

読んでみるかい、と雷蔵はこちらの方に本を寄せて勧めてくれたけど、私は丁重に断った。

「雷蔵が読んでくれた方が、いい」

表紙にいる二匹のうさぎみたいな、くるり、とした黒い目に、三日月みたいな白い光が浮かんでいて、彼は静かに笑っていた。




































「この街は、一年のほとんどが雨なんだ」

住むなら雨漏りのないアパートをお薦めする、と冗談とも本気とも取れる言葉を彼は口にした。店に入る前に降りだした雨が本格的なものになって、ずいぶん、久しい。体を暖めるために、と頼んだアイリッシュコーヒーは、もはや飲んだ時のラインだけがカップにあるだけだった。豆を砕いてできた粉の残滓が底にひっそりと佇んでいた。

「何かさ、雨の日って、哀しくなるよな」

窓を滝のように伝い落ちていく雨のせいでは、世界は真っ白に煙って見えた。古い映画を見ているようだった。モノトーンの、綺麗で、哀しい。返事がなくて、視線を外から兵助の方へと戻すと、彼の唇が緩んでいた。堪えきれない笑いが口の端から落ちてくる。

「何だよ」
「いや、ハチの口からそんな言葉」
「悪かったな」
「ハチは晴れ男ぽいもんな」

雨は似合わないよ、と言われて俺は泣きそうになった。この街から出ていくんだろ、と問われているような気がした。店の屋根を叩く雨音が、急に遠くなる。水の底にいるみたいだ。

「一曲、弾いてよ」

兵助の眼差しが俺の相棒に、古びたアコーディオンに向けられる。

「おぉ」

ひたすら明るい曲を弾こうと思った。鬱蒼とした気分をこの雨ごとを吹き飛ばすような、そんな曲を。




































「やぁ、サブロー」

店に入るなり赤茶色のひげをたっぷりと蓄えた親父がカウンターごしにいつものように声をかけてきた。中途半端な時間のせいか店の客足はまばらだったが、どれもよく見知った顔ぶれだった。わざわざ老眼鏡を額へと上げて新聞を読んでいる老人、クロワッサンを頬張りながらクロスワードを解いている女性、夜勤明けなのか作業服姿でぼんやりと窓の外を眺めている男性。これもいつもの光景。互いに関心を持ち合わない彼たちはまるで凪いだ海のように静かだった。この中に東洋人の私が増えた時でさえ、特に波風が立つこともなかった。静寂の中にある暗黙の了解と踏み込み合うことのない関係を私は気に入っていた。

「今日は特に冷えるな」
「一日中、雪だとさ」

朝見た天気予報を告げれば親父は「oh」と両手を広げては大げさに呻き、それから私の方にいつも食べてるベーグルとブラックコーヒーを出した。夜を煮詰めたような色のコーヒーからは、つんと酸っぱい匂いが漂っているような気がした。

「マフィンも付けるか? 焼きたてだぞ」
「止めとく。釣りが変わってくるし」

ポケットにねじ込んだままぐちゃぐちゃになった紙幣を押しつければ、親父は不思議そうな面持ちをした。レジスターをいじって「釣り?」とたずね返してきた親父から手渡されたのは、ぴかぴかと光ったコインが1枚と銅褐色の小さなコインが3枚。ペニーの方はカウンターに置きっぱなしの籠に、チップとは別の意味合いで、これまたいつものように、投げ入れる。軽い金属音が響いた。

「電話を掛けるのにな」
「そういや、サブローはよくその前に立ってるな」


親父の視線につられて、俺は店の奥ほどの、トイレの少し前に置きっぱなしになっている公衆電話へと視線を向けた。

「誰に掛けるんだ?」
「雷蔵に」

俺がその町の名を告げれば、親父は鸚鵡返しのように「ライゾニ?」と片言で俺の言葉を真似た。それを「雷蔵、に」と訂正してやれば、親父は面白がって再び「ライゾーニ?」と尋ねてきた。

「雷蔵」
「ライゾ」
「雷蔵」
「ライゾー」
「らいぞう」

何度も繰り返す彼の名は、まるで呪文のようだった。いや、魔法なのかもしれない。その名を口にするだけで、冬の晴れた日の夕暮れの少し前、空がぴかぴかと黄昏に染まって輝いているような、そんなどうしようもなく淋しく、そして温かな気持ちになるのだから。




































朝方はうっすらと地面を濡らす程度だった霧雨は、いつの間にか大粒になり窓を叩いていた。雪にはならない、けれども限りなく冷たい雨に、窓の向こうは灰色に沈みこんでいた。レポートもテストもないこの時期のことだ、大方の学生は自主休校と決め込んだのかもしれない。そんな中、何で俺が研究室に来てるかと言えば、教授に仕事を頼まれたからだ。

(はー)

ため息をいくつ零したって、目の前のデータの山が減るわけじゃないのは百も承知だったけれど、どうも乗り気になれない。勉強になるから教授の助手的な事をするのが嫌いなわけじゃない。ただ、一人で片づけるにはちょっと骨の折れる量に頭が痛くなったのも事実だ。もう一度、窓の外を見やれば、ますます雨粒が大きくなっているような気がした。モノクロに染まる陰鬱な雰囲気が、ますます、俺の気持ちを落とした。

「とにかく、やるか」

俺の独り言も虚しく響き渡る。いつもだったらできるだけ静かな環境を好むのに、物音ひとつしない静謐さに余計なことを考えてしまいそうで。俺は耳にイヤホンを被せ、音楽プレーヤーのスイッチを入れた。柔らかな音が連なる心地よさに、俺の心は少しだけ上向いたような気がした。気だるげなシンガーが歌う異国の言葉は徐々に意味を失っていき、ただただ心地のよい旋律へと変わっていった。

***

軽快に走る指が最後の一文字のを打ち終え、パソコンの画面の下の方にあるデジタルの数字は夕刻を示していた。終わったー、という満足感に、ぐぅぅ、と椅子の背もたれを利用して、ひっくり返るように伸びをすれば-----------背後の人物と目が合って、俺は息の根を止められたかと思った。

『兵助』

ちょうど曲の盛り上がりの部分で彼の声はちっとも聞こえなかったけど、空気が揺らいだのが分かった。竹谷が、そこにいた。

「っ、」

驚きにのけぞって、そのまま椅子から転がり落ちそうになるのを、なんとか持ち前の力で押さえる。体勢を整えようとしていれば、竹谷の唇がまた空気を食んだ。開いた口の間隔から読みとれた彼の言葉に「驚きすぎって、声ぐらいかけてくればよかったのに」と文句を付けつつ、俺は耳のイアホンを外した。

「や、一応、声を掛けたんだけどさ」
「そうなのか悪い」
「あんまりでかい音で聞いてると、耳が悪くなるぞ」

竹谷にそう言われて、耳から離れたイアホンからただ漏れる音楽に指を音楽プレイヤーへと滑らす。機械の横に付いているボリュームをいじって音量を下げた。ゆるゆると空気を揺らす幽かな旋律が俺と竹谷の空隙を繋ぐ。俺はスイッチをオフにすることがどうしてもできなかった。静かになるのが、耐えられない気がしたから。--------俺は、竹谷に告白の返事をできずにいた。

『今すぐだとNoって言われそうだしよ、ちょっと考えて』

その場で何も言えなくなってしまったあの日から、もう、ひと月が経ってしまっていた。--------答えを出すのが怖くて、たまらなかった。YesでもNoでも、もう、前のようにはいられないのだ。





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