え、と思った瞬間に世界は反転していた。 したたかに打ちつけた背中に、衝撃がうずきとなって波紋のように広がっていく。 あまりの痛さに文句の一つでも言ってやろうと正面切って--------喉元まで出かかった怒りの言葉を飲み下す。 「兵助?」 俺を押し倒して見下ろす兵助の双眸は、雨上がりの川を思わせた。いろんなものが渦巻いて、それを処理しきれてないような、そんな目。様々な色が混じって、結局、墨のような色になるのと似ていた。掬い取った感情はいつだって表面だけで、コイツはその奥底を見せようとしなかった。 (兵助らしいっちゃらしいんだけど、……なぁ) 物言わぬが美徳とでもいうかのように、兵助は負の感情を言葉にして零さない。溜め込むな、と言ったところで、大概「はいはい」と流されて終わってしまう。それでも気になって口酸っぱくして言うと「ハチ、うるさい」と戸口を閉められてしまった。こっちがこんだけ心配してるつうのに、と不貞腐れて愚痴った俺を雷蔵だけじゃなく三郎までもが慰めてくれたのは記憶に新しい。 「兵助、どうした?」 混沌とした彼の目は、泣きだしそうだった。嫌、泣きだしそうなのは、そこに映る俺の方だったのかもしれない。無言のまま兵助は俺を見ていた。体に被さってきた兵助よりも重い沈黙が俺に圧し掛かる。 少しだけ体をずらすと、長く垂れさがっていた兵助の髪が俺の肌に触れた。ゆるりとうねったそれ。くすぐったい。 泥染めした糸よりもずっと細く光沢のあるそれを、一筋だけ指でそっと絡め取った。そのまま、兵助の頬をに手を当てる。俺の熱が兵助にしみ込んでいく。 「はち」 吐息のように細い声が、俺の名を呼んだ。そのまま消えてしまいそうなくらい弱々しいそれに、俺は繋ぎとめるように頬に当てた手を彼の後頭部に回した。そのまま抱きかかえるようにすると、ふ、と突っ張っていた兵助の腕の力が抜けた。確かな重みに圧される。崩れ落ちた兵助の髪をわしゃわしゃと撫でる。胸にかかる、温かな息。 「……ごめん」 どれくらい経っただろう、さっきまでとは違うはっきりとした声が耳に届いた。いいよ、と言う代わりに、ポンポンと軽く頭を叩く。 「ハチの心臓の音、聞くと、ほっとする」 凪いだオルゴール ←88festa ←top |