「あっちぃ」

いい加減飽きた言葉は、陽炎みたく立ち昇った。太陽は、焼き殺そうとしてるんじゃねぇかって勢いで。 足元広がる黒影は焦げ付いたように、動こうとしない。途切れることの盛大な蝉の鳴き声は、蝉時雨というよりも、豪雨の方が近いんじゃないだろうか。 はっきりとした白い入道雲は、目に痛いほどの青空の中で、ソフトクリームみたいに盛り上がっていた。

「あーだーもー、」

わしわし、と掻き毟った髪の毛から汗が伝う。蝉が小馬鹿にしたようにがなりたてた。ミーンミンミンミン。

「あー夏なんて絶てぇ嫌いだ」

木に止まっている蝉に向かって叫んでると、

「お、三郎じゃん。何やってんだ?」

涼しげというか、なんというか。暑さを感じてるんだけと、同じように熱を発散してるから、感じてないみたいな(つまりは暑苦しい男ってことだ)「ハチ、」が、いた。






***



ぼこぼこと土ぼこりを上げながらチャリを引くハチからは、太陽と土と汗の匂いがした。部活帰りだというハチは健康的を通り越して、真黒に日焼けしている。世間が紫外線だのオゾン層の破壊だの叫んでも、関係ないらしい。ほぼ毎日部活があるって話に、心底自分が帰宅部だということに感謝する。

「そりゃ、災難だったな」
「だろ。ってか、パンクさした犯人、ぜってー殺す」
「おーこわ」

車輪が回転するたびに、カタカタと、周期的に何かが引っかかる音が連なる。 ハチは器用に片手で自転車を押しながら、もう片手でアイスを食べていた。さっきコンビニの前を通った時に、ハチに自転車を押しつけて買ったものだった。(パンクした自転車を運ぶのに疲れて、けど、放置してくわけにもいかねぇし、ってことで、ハチにスイカバー1つで引き受けてもらった)自分も溶ける前に食べようと、口の中に押し込むとすいかの味が淡く広がる。

「あー暑ちぃ。脳みそ、溶けそう」
「ハチに、脳みそあるのかよ?」
「うわっ。そーいうこと言うか、人に自転車押し付けといて」
「や、自転車運ぶのに脳みそいらねぇし」

焦熱に耐えきれないのだろう、さっきまで二等辺三角形をしていたそれは、ぐずぐずとその形を変えていく。 ゆるゆると、溶けたアイスは持っている手から肘のあたりまで伝って、そこで溜まって、ポタポタと落ちてく。べとべとして気持ち悪いけど拭くのすら面倒で。振り返れば、ここまでの軌跡が点々とアスファルトに残っていた。そこだけ、まるで車のマフラーから水が滴った時みたいに色が濃い。

「お、当たり。もう一本だって」

あっという間に食べきったアイスの木べらをハチが自慢げに掲げた。『あたり』と刻印が刻まれている。

「ん、ハチ」
「何んだよ、その手」
「棒とアイス換えたらくれ。ハチの金で買ったんじゃねぇんだし」
「これ、自転車搬送料じゃねぇの?」
「アイス1本でチャラだろ」

そう告げるとハチは自転車を押す右手を止めて「えー」と不貞腐れた。仕方なく、「しゃぁねぇなぁ」と言うと「しゃっ」と嬉しそうに小さく左の拳を握って、棒を銜えると今度は両手で自転車を押し出した。回転のスピードが上がって、カタカタという音が速まる。

「いいけどさ、ハチ、これってコンビニで換えてもらえるのか」
「あ、……どうだろ」
「コンビニは無理じゃねぇか? 駄菓子屋みたいな所ならいいんだろうけどな」
「駄菓子屋って、また懐かしい所を。そういえばさ、俺さ、初めてアイスの当たった時、めっちゃ嬉しくてさぁ、その日、寝れなかったっけ」

太陽に焦がされた風が通り抜け、枯れかかった夏草は圧し掛かった熱に倒される。ざらざらとした乾いた砂が、舞った。どこまでも続くアスファルトの道は熱されて歪んで見え、世界は白く霞んでいた。

「あー、マジ暑い。ハチ、なんかねぇの?」
「茶、全部飲んじまったしなぁ。ってか、お前がこんな暑い時間に外、出歩くの珍しいな」
「あー、図書館に行ってきた」
「雷蔵に会いに?」
「会いにってか、こないだ頼んでた本が見つかった、って雷蔵に言われてさ」
「何、借りたんだ?」

その言葉と同時に、ひょい、と籠に入っていた鞄を覗き込んだ(しかも勝手に)ハチは、腹を抱えながら笑いだした。

「ぶははははっ」

倒れかかった自転車を押し戻しながら笑い続ける奴を、「何、そんなにウケてんだよ?」と睨みつける。 「そんなこと言ったって……」と、ヒイヒイ、喉を鳴らして体を折り込むようにして崩れそうにになりながら笑うハチがムカついて。蹴るまねをすると、さすがに「わ、悪かった、って」と詫びを入れてきた。

「けどさ、三郎が、ロミオとジュリエットなんて…」
「好きで読んでるわけねぇだろ。こんな古臭ぇ話」
「何だ、趣味かと思ったし」
「こないだ頼まれたんだよ。演劇部に。文化祭でやるんだと」

熱風が、吹きぬける。空気が焼ける、乾いた匂い。延々と続く電信柱が、陽炎に縮む。

「ふーん、じゃ、当日はバラの花束でも持ってってやるよ」
「バラなら最高級の幻の青いバラな」
「冗談言ってすんません。ってか、三郎は何やるんだ? ロミオ?」
「はずれ」
「じゃあ、ジュリエット?」
「あのなぁ」

呆れてため息を吐くと、「冗談だって。てか、出てくるの、ロミオとジュリエットしか知らねぇし」と言われてしまい、どうやって返答しようか考えあぐねていると、ぽつり、とハチが言った。

「これって、すれ違いの末に死ぬ、って話だっけ」

射るような太陽の光線が、足もとで2つ、濃い色の影を切り抜く。急に落ちた沈黙を上手にやり過ごす術が見つからない。 誤魔化すように、歯噛みすると、口の中にさっきとは違う味が広がった。湿っぽい、かすかな苦みのある。 木べらの、味。

「あぁ。……馬鹿だよな、この二人」
「そーだな。けど、仕方なかったんじゃね。  まだ、この二人は子どもってか、ガキだったんだからさ」

『ガキ』
その言葉を、反芻させる。しょうもない、ガラクタを集めた宝箱。大事に取っておいた蝉の抜け殻、海辺の貝殻、初めて当たったアイスの棒。そんなイメージが、じんわりと意識を包んだ。

「いくつだっけ?」
「忘れた。けど、俺らとそう変わらないんじゃね?」
「そっか、ガキか」
「そ、ガキ」

胸には、確かに想いがあるのに。その想いを相手に伝える術を持たなかった。無力な、子ども。ガキだったから。自分たちだけで、世界が構成されていたんだ。だから、周りを見渡すこともせず、悲観して死んでしまった。馬鹿な、子どもたち。

不意に、掴まれた手が、熱に沸騰する。

「ハチ?」
「繋ぎたかった」
「そっか」

もう木の味しかしない、スイカバーの棒。それから、この手の温もり。見上げた空は、広くて。しん、と目に滲みるくらい、青くて。まるで小学生の絵日記に出てきそうな夏空だった。 切ないとか、哀しいとか、そんなんじゃなくて、ただ、泣きたくなった。



永遠なんてないって知ってても、ずっとこのまま、と希うのは、まだ自分たちもガキだからだろうか。

青い薔薇が散ってゆくとしても







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