生命まで燃やしてるみたい






あわいひかりが、すっと消えた。
水の透いた匂いがうっすらと闇に漂ってくる。
さわさわと耳を掠めるのは、川の岸辺に生える葦が擦れる音だろうか。



と、また別の所で、若草色の光が灯った。
その光に呼応するように、対岸でうっすらと光が闇に浮かび上がる。
ひとつ、ふたつ、と増えていくやわらかな光をの粒を、僕はただ、見続けていた。



「蛍を見に行こう」と誘ってきたのは三郎の方だったのに、彼はさっきからずっと黙ったままだった。 暗さ慣れた目でそっと三郎を忍び見たけれど、彼の相貌に表れた微細なものを汲み取るには、あまりに闇が深かった。 ぼんやりと光をやつす彼の眼差しの、その暗澹たる昏さに僕は呑み込まれそうになる。

----------------三郎に潜むそれの正体を、僕は未だ掴めずにいた。



月影のない夜は墨を敷き詰めたように濃密で、なんとなく息苦しい。
風にそよぐ草の音と、滔々と流れ続ける川の水音と、それから僕の心の臓が刻む音と。
三郎は確かにすぐ隣にいるはずなのに、触れることのできない、ずっと遠い所に行ってしまったようで、



「昔さ、たくさん蛍を掴まえたことがあるよね」

返事があるか分からなかったけれど、沈黙に耐えれなくなった僕は三郎に向けて言葉を発した。



「あぁ、篭いっぱいに蛍を掴まえて、部屋に放とうとしたやつな」

返答してくれたことに安堵を覚えながら、そうそう、と僕は相槌を打った。
目の前で遊離する光は、瞼に甦るそれと何一つ変わっていない。
あの夜と、何一つ。

あれは、夏の初めだった。
とにかく、むん、と籠るような熱の感じる夜だった。
昼が居座ろうと足掻いているかのように、まだ明るい群青の空の元を、僕たちは無邪気に駆け回った。












「見れるといいね」
「今日は風も強くないし、大丈夫だろ」

群棲の場所をハチから聞いてた僕たちは川べりで、じっ、と身を隠して蛍が飛翔するのを待っていた。
誰に聞かれるわけでも、大声のせいで蛍が逃げ出してしまうわけでもないのに、僕たちは自然と声を潜めて囁くように話した。 小さい声で話すために身を寄せているせいか、いつもよりもずっと三郎が近くて、肌の熱ですら伝わってしまいそうな距離だった。



「雨も降らなさそうだし」

三郎の言葉に顔を上げると、さっきまで西に残っていた残照は紺青の闇に塗りこめられて、すっかりと夜の帳が下りていた。 先刻は疎らだった星々も、白磁を砕いた破片が飛び散ってしまったかのように、その数が増えてきたのが分かった。 通り抜けた風に揺れる葦が頬を掠め、そのくすぐったくさに思わず顔を逸らした瞬間、



「あっ」

浮遊する光が視界に飛び込んできて、興奮のまま「三郎」と振り返って、僕は知った。

------三郎の中に、ぽっかりとした、深淵があることを。



この世の絶望をかき集めてもまだ足りないほど昏い目で、三郎はずっと遠いところを見据えていた。












「あの後、ハチにめっちゃ怒られたっけ」

三郎の苦笑いが闇を小さく揺らして、僕は瞼の裏に過去を閉じ込めた。



「そうそう。『蛍は七日も生きることができないんだぞ』って」
「しばらく、口、きいてくれなかったからなぁ」

虫篭一杯に掴まえて帰ってきた僕たちは、ハチにめちゃくちゃ怒られたのだった。
その時の剣幕を思い出したのだろうか、三郎は声を上げて笑いだした。
それが伝播したかのように僕も可笑しくて、つい、笑って、



「雷蔵、」

不意に、静寂が落ちた。



「ん?」
「綺麗だな」
「うん」

焦がれるような緑が、すい、と僕と三郎の間を横切った。



「死ぬと分かっているから、命を燃やしてるから、あんなにも綺麗なんだろうな」

誰に言い聞かせるでもない、囁くような三郎の声はすごく優しくて、僕は瞼を下ろした。










(そうして、君も命を燃やして生きて、それから、)