▼103026記念。はちやさんをめぐる小さなお話
▼title by opaque

   捨てられないのはずるい人 兵助
   ありがとうが言えない人とごめんが言えない人 ハチ
   なんの魅力もない人 勘右衛門
   愛されて欲しい人 雷蔵




 兵助


どんな奴かと問われ、俺は思わず考え込んでしまった。目の前にいる彼は、今、話題に上った奴と同じような面立ちをしている。けれど、やはり、違うのだ。「んー。というか、雷蔵の方が詳しいんじゃないの」俺の言葉に、彼はその柔らかな陽だまりのような眼差しを小さく濁した。溶けだした苦笑に何かわけがあるのだと分かったけれど、その唇は固く結ばれ、緩ませることは難しそうだった。仕方なく、改めて頭に浮かべる。鉢屋三郎、その人を。

桜が咲き綻び、新芽が空に伸び、緑が濃くなり、やがて茜空よりも鮮やかに染まった葉が朽ちていき、気がつけば眠りに就き、そうしていつか、また梢に紅が差される。気付かないうちに、いくつもの季節が巡り、いつとせが経っていた。 そう、5年だ。傍にいることが当たり前すぎて、どんな奴か、などと考えることがなくなっていた。それこそ、出会った頃は考えない日がなかったくらいだったというのに。

「どんな奴、ね。……俺の印象は、そうだな、捨てられない人、なんだろうな」
「捨てられない人って?」

言葉の意味を確かめるかのように、雷蔵はゆっくりとかみしめながら呟いた。意外、というよりも、自然に受け入れたような面持ちで。おそらく、雷蔵の中にもその認識があるのだろう。けれども、そのことを口にせず、彼は視線だけで続きを促した。

「三郎はさ、口では『棄てろ』なんて非情なことを言うくせに、結局は捨てきれない」

生きて帰るのが忍。手段を選ばないのも忍。もしも仲間が瀕死の重傷を負い、足手まといになるならば、俺は迷わず切り捨てる。顧みることはあるかもしれないが、後悔はしないだろう、という思いがあった。

「だいぶ前の実習で俺がドジを踏んだ時の事、覚えてるか?」

学年が上がれば必然と増える怪我。かすり傷なんて、数すら覚えてないが、大きいのもまた、思い当たる節が色々あるのだろう、首を傾けて考え込んでいる雷蔵に「ほら、4年の冬の」と告げると、「あー、肋骨がいっちゃってた時の?」と彼は俺の方に視線を戻した。

「あの時さ、三郎と一緒に組んでたんだよ」
「そうなんだ」
「あぁ。その時にさ、三郎の奴、俺をかついで峠を越えようとしたんだよな。置いてけっつってもさ、『死人に口なし。黙っとけ』って聞かないんだよな。おかげで俺は大事に至らなかったけどさ、」

そこで言葉を飲み込むと、雷蔵は怪訝そうに俺の方を見やった。大きな眼がぐるりと動き、「それで?」と問われた。あぁ、と小さく相槌を打ったものの、次の言葉が出てこない。浮かび上がる感情の色が次々に変化し、あやふやな言葉の残骸だけが打ち寄せられ、掴み取ろうとしても指先をすり抜けていく。つまってしまった俺を急かすわけでもなく、雷蔵は、優しく瞬きをして待っていた。

「……捨てれないってのはさ、ずるいよな」

訥々と零れた言葉にも関わらず、雷蔵が「ずるいって?」と温かく包み込むように尋ね返してきてくれた。その分、次の言葉がすんなりと出てくる。

「だってさ、生きることに期待してしまうだろ」
「それは駄目なことなの?」
「駄目っていうか……それで生還できたとして、けれど、忍として致命的な怪我を負っていたら、と思うと、ぞっとする」

俺の言葉を雷蔵は肯定するわけでも否定するわけでもなく、ただただ、聞いていた。目にまっすぐに宿る光でさえ、その色ははっきりとしない。感情を殺している訳でもないその眼差しに向かい話しかける。

「そう三郎に言ったんだよ。そしたらさ、三郎の奴、何て言ったと思う?」
「『俺の我儘なんだ』だと」
「どういうこと?」
「『俺が生きてほしい奴には、地を這ってでも生きてもらう』だそうだ。駄々をこねる子どもみたいだな」

三郎の声音を真似た俺の言葉に雷蔵は「それなら、僕たちは相当、長生きをしなければならないね」と小さく笑いを洩らしながら答えた。













ハチ

「は?」

たぶん、俺はすっげぇ間抜けな面を晒していたと思う。それくらい、雷蔵の質問は意味が分からなかった。音が言葉になり、言葉が意味につながっても、俺は答えを出すことができなくて。

「ってか、雷蔵の方がよく知ってるじゃねぇか」
「さっき、兵助にも同じことを言われたよ」
「だろうな。そうとしか思わないんだけど」

そうなんだけどね、と春風のように微笑むのは、やっぱし雷蔵で、三郎とは違うのだ。そりゃ、完璧に三郎が雷蔵を模すれば騙されるけれども、普段は見破ることができる。これも、5年間の付き合いの賜物だった。(そりゃ、昔はさんざんだった。ちっとも見抜けなくって、よくからかわれたものだ) けれども、今は違う。ふ、とある時に気がついたのだ。二人の纏っている気配の違いを。 兵助や勘右衛門ならば、この感覚的なものをうまく言葉にすることができるのかもしれねぇが、あいにく、俺は語彙を持ち合わせていない。ただ、違う、ということだけは、直感的に分かるのだ。

「三郎がどんな奴ね、俺から言わせたら、あれだな。素直じゃない」

とりあえず、思ったことを口にすれば雷蔵は「あぁ」と納得したようにうなずいた。天の邪鬼、という言葉は奴のためにあると俺は思う。それくらい、三郎と素直という言葉はかけ離れていた。

「まぁ、三郎の奴が素直だったら、それこそ、天地がひっくり返りそうだ」
「酷い言いようだね」
「事実だろ。ま、この前も謝りもしなかったしな」

ぶつぶつと愚痴れば、その経緯をしらなかったのか、「ハチと何かあったの?」と雷蔵は少し驚いたように俺を覗きこんだ。酷く、心配そうな色に、慌てて手を振り「や、別に、大した喧嘩じゃねぇよ」と断りを入れておく。それでもまだ雷蔵は俺の方に視線を穿っていた。俺の言葉を信用していない、というよりも、純粋に心を痛めているのだろう。す、っと瞳に溶けた色が揺れていた。「ホント、大したことじゃない」と全力で否定し、先を続ける。

「昔さ、俺と三郎が大喧嘩したの覚えてるか?」

その時のことを思い出したのか、一瞬だけ、雷蔵の視線が宙に浮かんだ。すぐさま苦笑いを引きつれて「懐かしいね」という言葉が帰ってくる。それから雷蔵はその唇の歪みを緩め、耽るように微笑んだ。

「あの時もさ、三郎、結局、謝らなかったんだよな」

俺は謝ったのにさ、と続ければ雷蔵は「そうだったね」と相槌を打った。何が原因だったのか、今、思い返しても、ちっとも、さっぱり、覚えていない。ただ、取っ組み合いの喧嘩で罰として、食堂当番の水仕事が回ってきたのだ。まだ、夜の懐に抱かれた時間。真っ暗の中で二人、朝飯の準備をした。馬鹿みたいに寒い冬だった。息が凍ってしまうんじゃないか、ってくらい。頭は怒りで沸騰していたが、指先は別の処にあるような感覚だった。自分のものじゃないみたいだった。桶に張ったものはともかく、流す水はさすがに凍ってはなかった。だが、最初きりきりと締め付けるような痛みですら感じ取れないくらいには冷たい。

必死に野菜やなんやと洗い切ったころには、指先には立派なあかぎれができていた。最初に薬を塗っておけば、すぐに治ったのかもしれねぇ。けど、面倒で放置していたら、数日後にはぐじゅぐじゅと膿のようなものが、ひび割れから流れ出していた。生物委員で外の空風に吹きざらしになっていたのも悪化を手伝い、分厚くなった指先の面では、苦無やら武具の類もうまく扱えない。それどころか、筆を持つのでさえ痛くてたまらなかった。そんな夜のことだったのだ。

当然のごとく、課題が免除されるわけでもなく(むしろ、そんな状況だからこそ、と楽しまんばかりに山のように課題が出された)、さらし布を指に巻きつけて、どうにかこうにか苦痛を耐えながら筆を進めていると、かたん、と小さな音が部屋の外廊下に響いた。何だ、と障子扉を足で開ければ、廊下に落ちていたのは、あかぎれの薬。誰からだ、なんて姿が見えなくても分かった。三郎が素直に謝れない、と知ってからは、逆にそこが可愛くて(なんてこと言ったら、どつかれそうだが)、からかいたくなる。

「ま、だから、俺にとっては素直に『ごめん』とかさ『ありがとう』とか言えない奴、だな」

それから「だからさ、今回のも、雷蔵が気にすることねぇよ。まだムカついてるけどさ、どーせ、『ごめん』って素直に言えないって分かってるし」と続ければ雷蔵は、くすくすと笑いを零した。それから、不意に真面目な顔になって俺を見遣った。

「ごめん」














勘右衛門

「三郎なぁ…一言でいえば、なんの魅力もない奴だな」

普段はどんな三郎の言動にもあまり動じない雷蔵は、俺の言葉に目を見張った。驚きに満ちた表情のまま「魅力がないって?」と尋ねてきた。どうやって説明しようか考えあぐねて、しばらく沈黙を綴った後、「周りの奴がさ、鉢屋三郎って化け物を作ってるんだよ」と持論をゆっくりと述べれば、雷蔵は「あぁ」とかみしめるように呟いた。

下級生から畏怖され、上級生からはその才能に妬まれ、噂に塗り固められた鉢屋は、俺たちの知っている奴とはずいぶんとかけ離れた偶像であった。

「確かにさ、あいつには底知れないところがあると思う」
「うん」
「けどさ、違うだろ」

周囲がなぞる輪郭は俺たちのよく知る鉢屋とは違うのだ。時に、それを叫びたくもなり、時に、それを隠し通したくなる。底知れぬままでいてほしい、そう願うのは我儘か、はたまた……。

「三郎はどう思ってるんだろうね?」
「さぁなぁ。ま、今は楽しんでるみたいだけどな」

下級生を驚かせては目を輝かせ、上級生には唇を緩ませながら嫌味で応対する様を考えれば、純粋に楽しいのだろう。それがまた、彼を化け物呼ばわりする噂を作りだすということに、鉢屋は気付いていない。そう考え込んでいると、「ま、実態を知ったら下級生は幻滅するってことで」と、すっぱり、切り捨てた。

「雷蔵って何気に酷いこと言うよね」
「そう?」

ちらりと皓い歯を見せて、いたずらっ子のように笑う雷蔵は三郎にどことなく似ていた。ふ、と、どうしてこんなことを雷蔵が尋ねてきただろうか、と疑問が沸き、それを彼にぶつけた。

「というかさ、どうしたの、急に」
「んー特に意味はないんだけど、ね」

曖昧に濁した彼に、「本当の三郎を一番知ってるのは、雷蔵じゃないの?」と問いかければ、きしり、とその笑みが軋んだ。少し困ったように眉を寄せ、「そうだといいんだけれど」と呟く。その心細そうな面持ちに「雷蔵?」と思わず問いかけると、彼ははっと表情を作った。柔らかな笑みを浮かべ直し「ん、教えてくれて、ありがと」と俺に礼を言うと、踵を返した。遠ざかっていくその背中に、は、っと気付く。

(もしかして、)
















雷蔵

「で、本気で僕の変装をして、自分の話を聞いて、どうだったんだい?」

話を持ちかけられた時は、心底嫌だったが「許可してくれなかったら、勝手にするまでだ」と言い切られ、諦めの境地で頷いた。だが、いや、だからこそ、興味もあるし聞く権利だって当然ある。だから、部屋に戻ってくるなり、そう尋ねてきた。と、三郎はしばらく頭をがしがしと掻いて(これは、僕の癖ではなく三郎の素、だ)、それからぼそりと漏らした。

「なんか、照れるな」

その言葉を聞いて、あぁ、よかった、と思った。少しは僕の話を信じてくれただろうか。
「で分かっただろ。嘘じゃないって。少なくとも、兵助もハチも勘右獲門も、お前の味方だし、お前のことが大好きだよ。まだ、満足しないかい?」
「満足…は、した。けど」

歯切れの悪い三郎の答えに、僕は「けど?」と彼から続きの言葉を連れ出そうとする。しばらく沈黙にのめり込むように口を噤んでいた三郎が、ようやく呟いた。

「雷蔵は?」
「え?」
「雷蔵は、私のことをどう思ってるんだい?」

俯き加減だった顔を上げ、切り結ばれた眼差しがあまりにまっすぐで、僕はすぐさまその言葉を口にした。 迷いもなにもなかった。ただ、一途にそのことだけを願う。

「愛されてほしい人」


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